松戸の放射線対策を力強くやっていきます。
  • 07«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »09
-------- (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012-02-25 (土) | 編集 |
なんとなく列挙。

民×公×学で挑む!オール柏の除染計画 ~安心へのロードマップ~

2011.12.12ヒューマンライツ・ナウ主催 「世界人権デー記念シンポジウム2011 東日本大震災を受けて 福島原発事故後の人権を考える」より 影浦 峡先生の講演「放射能安全報道とその社会的不安」

烏と蛙 深夜のボランティアばなし

かえるくんさん、@takahiroanno さん、@kaoruito0618 さん 東京大学 児玉 龍彦先生の講義を聞く

航空機モニタリングで0.23μSv/hを超えないが実測で超える宮城県登米市、亘理町、大河原町、加美町は国が財政負担して除染を支援する「汚染状況重点調査地域」に指定されるか?その2

かえるくんさん、チーム中川の中川先生の講義を聞く。


スポンサーサイト
2012-02-07 (火) | 編集 |
柏で行われた新潟大・野中昌法教授の講演を聞く。
もっと農学の勉強を尖らせて行こう。。。
書き起こしはまた今度



参考資料(この時とほとんど同じ)
野中昌法「放射性物質の生体・食品・作物 への影響・歴史的背景も含めて」 
http://wwwsoc.nii.ac.jp/yuki/shizen/nonaka.pdf



引用元:
「放射能汚染と有機農業 〜放射能の基礎知識と対策に関して 」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/yuki/
日時:7月2日(土)14:00-17:00 
会場:立教大学池袋キャンパス 

この講演で使用されたスライド
http://wwwsoc.nii.ac.jp/yuki/shizen/shizen11.html
より

2012-01-23 (月) | 編集 |
2011東日本大震災を受けて~福島原発事故後の人権を考える《世界人権デー記念シンポジウム》


同様の内容のtwitterまとめ→影浦峡先生の講演「放射能安全報道とその社会的不安」


影浦峡 - 研究ブログ - ReaD & Researchmap


影浦 峡『3.11後の放射能「安全」報道を読み解く―社会情報リテラシー実践講座』(現代企画)


2011年11月のブログ|国連・憲法問題研究会ブログ







放射能安全報道とその社会的不安

~基本的な事項の確認~

基本的な事項の確認1 事故
放射能がどうだ、放射線がこうだ…となって惑わされているが基本は簡単。これは東京電力と言う企業が起こした大事故。
材木工場が事故を起こして、おが屑をばら撒いたら、どう対応をするか。工場の人が謝って周って掃除をする。160ページの書類を送って「賠償してほしけりゃ書きこんでおくれ」と普通は言わない。かな。
材木工場の事故の例に比べて、原発事故は規模が大きく、健康への影響が大きく、長期に続く。だから実は、より一層、汚染範囲を整理することが常識的に考えて実用。

基本的な事項の確認2 法令と基準
一般公衆の被曝限度は年間1ミリ。放射線障害等防止法などで定められている。
資料1。2001年文部省、放射線と完全確保「年1ミリ以下であれば、障害は発生するものとしてもその可能性は極めて小さく社会的に容認し得る程度のものと考えられています」これはどういうことか。別に安全じゃない。社会的に容認しましょう、というだけ。しかも原子力安全委員会が作っている

※引用資料はこれかな?:発電用軽水型原子炉施設周辺の線量目標値に関する指針

違ったら正しいソース教えてください。

資料2つめ。高エネルギー加速器研究機(KEK)の資料。「できる限り無用な被ばくを避けることは大切なことです。」このようにルールはある。

KEKの資料。暮らしと放射線。スライド55枚目「被ばく線量と影響の現れ方」



ただ弱点もある。それは今回のように外に出た時。環境基本法第13条で放射性物質は扱われていない。法令も基本的には事業者を拘束するもの。なので環境中に出た後に、開き直るスキがあるのかも。専門家の意見を聞きたい。ただ原則は1年1ミリ。安全ではなく、利益を考えて我慢する基準。


基本的な事項の確認3 科学的知見、LNTについて
ICRP、日、米など原発運営諸国の法令の基盤はLNT。80年代後半から基準は次第に厳しくなっている。線形しきい値なし。1ミリで2万人に一人が致死的な癌。社会的な了解:1年1ミリ/個人の了解:できるだけ少なく/個人の感情、の三段階。(すみません、ここの説明よくわかりませんでした。)


~報道とその社会的影響~
以上を踏まえた上で、報道とその社会的影響について考える。

(こっからが痛快)

話題設定とその影響
7月8日の東大シンポジウム、私も参加した。東大哲学の一之瀬正樹先生の問題提起「しかしまだphysicalな被害がほとんど顕在化していないにも関わらず人々はなぜここに不安を抱くのか。」一見まっとうそうな問いかけである。しかし考えてもらいたい。
交通量が多く、スピード違反の車の多い通学路がある。そこに東大の哲学の先生がやって来て、したり顔で「しかしまだ誰も事故に遭っていないのに、人々はなぜここに不安を抱くのか」と言ったらちょっと変。
このような問いを出すことで、本来当然である不安が、分析、診断の対象になる奇妙な事態に陥る。本来、問われるべきものは汚染者の東京電力と、社会的基準を超えてもOKと言う人達。一之瀬さん型の問いかけによってそこがすごくねじれる。

twitterで拾った親の声。「どうして子供たちを放射能から守るか否か、で議論しなければいけないのか」「母親は普通、子供の被曝を気にするし、お腹が空いてないか、熱くないか寒くないか、痛いところはないか心配するのは当たり前。それをヒステリーとバカにする人は一体どんな母親が良い母親と思っているのか」など。しかし彼らはヒステリーと言われてきた。特に6月ごろまで。


議論の領域がずらされている、それが問題。私が良く出す例→小学校の校長が給食で毎日生徒にウイスキーを飲ませることにした。ここにアルコールの専門家がやってきて、5歳からの飲酒は体に良いと研究してきた、とか、12歳からだ、いや20歳からだ、と論争し出したらどうか。

これは社会的に適切な問題の扱い方ではない。押川さんも「科学の話はそれほど重要ではない」と科学者として言ってくれた。必要なのは、「小学生の飲酒が体に良いかと言う科学的議論ばかりがされること」への批判。それに加えて、校長先生の行為が不法、不当かどうかという単純な指摘。

これを今回の事故に当てはめる。一応法令で1ミリと定められている。どのくらいの被曝までが安全かの科学的議論ばかりが突出している。このことへの批判が必要。そして、被曝を強いられる不当性への指摘が必要。それがあってようやく、避難か除染か、など行政や個人の対応の話が来る。

報道はどうか
100ミリ以下は安全/発癌のリスクは50%から50.5%/極めて低い/具体的な被害が生じる程度ではない/実生活で問題になる量ではない/タバコを吸う方が余計危険/CTスキャン1回分/ただちに健康に影響はない/念の為の措置…
延々と続きます。
規制値には余裕/冷静な対応を/パニックの方が問題/粉ミルクは水で薄めるから…/干しシイタケは水で戻せば減る…
シイタケは出汁を取りますよね? 粉ミルクは水で溶かしたら、また蒸留するんですか?せめて料理の専門家に話をさせてほしい。



しかも、これらの報道は、安全寄りの科学的議論になりがちだ。
それは行政の無策の正当化、法令違反状態の正当化、東電の責任の矮小化につながっている。



安全側の論調の突出
ただ、多くの科学的議論の中で、安全側の論調が突出したのはなぜか。これは少し別の話。

大橋弘忠先生。2005年12月玄海プルサーマル公開討論会
「事故の時どうなるかは想定したシナリオに全部依存する。全部壊れて全部出て全部が環境に放出されればどんな結果でも出せる。それは大隕石が落ちてきたらどうなるかと言う起きもしない仮定。皆さん原子力事故が起きたら大変だと思っているかも知れないが、専門家になればなるほど格納器が壊れるなんて思えない。」

これ、循環論法っぽい。「事故の時どうなるかは想定したシナリオに依存します」→たいていの場合、シナリオ外だから事故。ほとんど矛盾した命題。この発言をした個人がどうと言う話ではない。このような社会的に空疎な言葉が流通している。今でも流通している。

※参考サイト:東大脳のお馬鹿大先生・御用学者大橋弘忠、「格納容器は壊れないしプルトニウムは飲んでも大丈夫」(平成17年佐賀シンポ) SOBA



2011年10月のコスト等検証委員会。京都大の山名元教授。500年に一回過酷事故が起きるという今回の実績に基づく事故確率に対して、「全国に54基の原発があるから、そうすると10年に1回に福島のような事故が起きることになってしまう。会内で反対しようということになる。だから500年に1回はおかしい」


(これは科学よりシナリオが優先している。)完全に現実から乖離している。


※会内で反対することに…云々のソース見つからず。
※「安全策を講じ、国際原子力機関(IAEA)が設定する十万年に一回以下が適切なのに、 考えられる危険を何でもコストに含めるのは論外だ。 だったら、ダムの決壊や火力発電所の爆発も加えろということになる」(中日新聞「核心対論」京大原子炉実験所・山名元教授) 」は見つけた。
原発業界御用学者リスト @ ウィキ - 山名元




このようなことが進むとどうなるか。専門家が然るべき発言をするために、「専門家の想定」を成り立たせ、そのために都合の良い前提を社会に押し付ける。だんだん専門家の話の中に、幻想的な世界が構成される。

2011/5/25中川恵一の発言
今回の原発事故は、私たちが「リスクに満ちた限りある時間」を生きていることに気づかせてくれたとも言える。たとえば、がんになって人生が深まったと語る人が多いように、リスクを見つめ、今を大切に生きることが、人生を豊かにするのだと思う。日本人がこの試練をプラスに変えていけることを切に望む

※参考サイト:とても容認できない中川発言!/福島第1原発事故 崩壊した「ゼロリスク社会」神話=中川恵一 - みどりの一期一会



「がんになって人生が深まったと語る人が多い」→これは臨床での経験だろう。(問題はその前後の発言だ。)

「今回の原発事故は、私たちが「リスクに満ちた限りある時間」を生きていることに気づかせてくれたとも言える。」→(会場に対して)保険入っている人いますか?大人は入っていると思います。なんでか?リスクがあるからですよね。

「ゼロリスク社会神話」自体が神話、幻想です。社会学的にはっきりしている。そんな社会は存在しないので崩壊しない。存在しないものの存在に気付くこともあり得ない。

「リスクを見つめ、今を大切に生きることが、人生を豊かにするのだと思う。日本人がこの試練をプラスに変えていけることを切に望む」→2万人に一人を殺すという強迫が学校に来た時に先生が「そのようなリスクは私達を豊かにする。この試練をプラスに変えることを切に望む」と言ったらどうか
私はちょっとまずいと思う。

日本人のことを真剣に考えてみる。この先生(中川恵一先生)も私も、放射線への感受性が高い子供たちの一人でも、高い被曝リスクを受けている原発作業員の一人でもない。一番(経済的な)被害を受けている生産者でもない。


こんな議論が成り立つのは「ゼロリスク社会神話」の存在する社会だけ。(設定している社会、前提がそもそも押し付けられた幻想のものである。)

これがさらに高じていくと、データさえも現実から乖離してくる。7月の「原発からの放射性物質はほぼなくなっており…」と言う発表。毎時10億ベクレル出ていた。平時の20倍。(※これも誰かソース教えてください。発表自体とデータ)


現実と乖離した専門的知見に基づく語りが、現実の世界で裏切られる。これは原発事故と同じパターン。原発事故は起きない→起きた。放射性物質が魚に貯まらない→貯まる。コメの安全宣言→基準値越え。低線量被曝の健康被害はない→? …ここを疑うのは当然。不安、不満、信頼低下は当然。



~本当はどうあるべきか~
本当はどうあるべきか。東電、安全委、保安院、政府が、第一義的責任を持って、作業員、市民、生産者、消費者…被害者に対して、専門家の助言をもらいながら、事故の責任、経緯の明確化、再発防止、責任者の処罰、汚染対策、など行政対応などを粛々と行うべきだった。

勿論大人は政府を選んだ間接的な責任はありますが。

ところが、いきなり事故を起こした人達が安全だ、問題ないと言いだした。心を豊かにするチャンスです。食品は5ミリ。福島の子供たちは20ミリ、他の地域も便乗で20ミリ…。

ほとんど無策のまま事態を放置した。その結果、実際的、精神的な負担を個人に強いた。消費者と生産者の分断を起こした。数々の分断は、適切な対策を取らなかったことが大きな原因。そこにメディアの議論の配置も大きく関係している。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。